
アララガマ魂を胸に恩返し
おもてなし部2年の勝連 遼です。
未熟な文章ではありますが、これまでのサッカー人生や高川学園で学んでいることについて、自分なりの言葉で表現させていただきます。最後までお読みいただけると嬉しいです。
私は沖縄県宮古島市で育ちました。サッカーを始めたのは小学1年生のときです。小さい頃は何をするにも1つ上の兄についていっていました。その兄がサッカーを始めたことがきっかけで、自分もサッカーを始めました。
小学生の頃は、トップチーム、セカンドチーム、低学年と分かれていました。1年生のときは練習中も兄についていき、小さなコートで純粋にボールを追いかけ、サッカーを楽しんでいました。2年生になるとトップチームに上げてもらい、これまでとは少し違う、新しいサッカーが始まりました。
当時の私は、まだ靴紐すら自分で結ぶことができませんでした。試合前も試合中も6年生の先輩に結んでもらい、ルールも分からないまま試合に出て、何度もオフサイドになっていました。それでも監督は、上の学年の選手がいる中で自分を起用してくれました。その経験があったからこそ、大きく成長できたのだと思います。
学年が上がるにつれて技術も理解も少しずつ向上し、5年生のときにはU-11沖縄県トレセンに選ばれました。毎月1回、飛行機で沖縄本島へ行き、レベルの高い環境でプレーしました。最初は思うようにできませんでしたが、回数を重ねるうちに自信もつき、サッカーがさらに楽しくなりました。
しかし、本気で取り組むようになると同時に、監督から厳しく叱られることも増えました。何度も辞めたいと思いました。それでも、毎月本島まで付き添ってくれた母、忙しい中でも自主練習を手伝ってくれた父、いつも支えてくれた祖父母の存在があったからこそ、続けることができました。
中学校では合同チームに所属し、坂道を自転車で30分かけて練習に通いました。コートも広くなり、練習時間も長くなり、最初はとてもきつく感じました。それでも1年生の頃から試合に出場し、得点を重ねることができました。小学生の頃の厳しい指導が、自分の土台になっていると実感しました。
中学1年生の冬、初めて高校サッカー選手権をテレビで観ました。無観客試合ではありましたが、その舞台で戦う高校生の姿に強く心を打たれました。それ以来、選手権やインターハイ、プレミアリーグなどの高校サッカーを観るようになり、「自分もこの舞台で点を取りたい」と本気で思うようになりました。
その目標を叶えるため、全国に出続けている高川学園への進学を決意しました。
入学後は、想像以上の強度の高い練習に驚きましたが、そのような厳しい環境の中で鍛錬の毎日を過ごしています。また、サッカーだけでなく部署活動を通じて、相手のために何ができるかを考える大切さも学んでいます。
残り1年。Aチームで試合に出続けられるよう、意地でも這い上がります。そして、成長した姿とこれまで支えてくださった方々への感謝を、プレーで示します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
そして、日頃より高川学園サッカー部をご支援いただき、誠にありがとうございます。結果で恩返しできるよう努力しますので、今後ともよろしくお願いいたします。
